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2016年3月26日土曜日

ヨーガ・スートラ第1章第51節

ヨーガ・スートラ第1章第51節

तस्यापि निरोधे सर्वनिरोधान्निर्बीजः समाधिः

【タシャ-ピ ニローデー サルヴァ・ニローダーン ニルビージャ・サマーディヒ】 

真実の知恵さえも静まり、全ての考えが収まることによって、

もはや苦悩のかけらもない完全な解放状態でいつづけることができます。

~スートラの解説~

自分の本質である真我の存在を受け入れると、すべての苦悩から自由になります。

やがて意識して真実を考えようとしなくても、ただの自分自身でいるだけで、

自分の本質が真我であるということがはっきりとわかります。

自分が何者で、何をするために命があるのか?

その解答を手にしたあなたは、

この世界で最も尊い「愛」の気持ちをいつも心に抱くようになります。

次回からは第2章です。

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2016年3月24日木曜日

ヨーガ・スートラ第1章第50節

ヨーガ・スートラ第1章第50節

तज्जस्संस्कारोऽन्यसंस्कार प्रतिबन्धी

【タッジャス サンスカーラハ アンニャ・サンスカーラ プラティバンディー】

真実の知恵は過去のとらわれを打ち負かす力となります。 

~スートラの解説~

真実の知恵は、私たちの間違った過去の記憶や、苦悩の原因、無知や捕らわれを

打ち負かす強さをくれます。

そればかりでなく、人をあらゆるしがらみから解き放ち、

考え方を明るく前向きにしてくれるのです。

私たちが本当は何者か?何のために生きているのか?

ということを知ったとき、私たちの人生は新たな幕をあけます。

その答えが、私たちの本質は魂であり永遠の存在だということです。

また、魂を成長させるために肉体という殻に入って学んでいるということです。

それを知識から智慧へと昇華させる時、

私たちはもはや以前の自分ではない、別の存在に進化したことに

気が付きます。

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2016年3月20日日曜日

ヨーガ・スートラ第1章第49節

ヨーガ・スートラ第1章第49節

श्रुतानुमानप्रज्ञाअभ्यामन्यविषया विशेषार्थत्वात्

【シュルタ アヌマーナ・プラニャービャーン・アンニャ・ヴィシャヤー

ヴィシェーシャ アルタットヴァート】

それは聞いただけの聖典の知識や、知覚と推理で得た情報とは全くの別ものです。

~スートラの解説~

この世で知るべき唯一の知恵は、世界の真実ブランマン、自分自身アートマー(真我)であると

いうことです。それを完全に理解し、その事実を受け止めたとき、

人間は初めて苦悩から解放されます。

なぜなら、それを知ったとき、

同時に自分自身が何をしにこの世界に来ているのかを思い出すからです。

私たちはこの世に魂の修行をしにきた存在です。

そのことを思い出した時、

目の前に起こることは全て、自分の魂を向上させるために起きる試練であると

理解することができるようになります。

すると、魂の成長に繋がる問題の解決方法は何か?

という考え方をすることができるようになります。

魂の成長に繋がる問題の解決方法をすれば、

試練はクリアです。

クリアを重ねて魂を成長させていくたびに、

人生はどんどん楽しく、幸せや感謝を感じるようになり、

この世は天国だと思えるようになります。

しかし、

逆に間違った解決方法をしていると、

何度も何度も同じ試練が押し寄せてくるのです。

自分が魂的な解決方法を選択しているかどうか、

これからは考えてみてはいかがでしょうか。

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2016年3月17日木曜日

ヨーガ・スートラ第1章第48節

ヨーガ・スートラ第1章第48節

ऋतंभरा तत्र प्रज्ञा

【ルタンバーラー タットラ プラニャー】

真実の知恵は心が静まったときに現れます。

 ~スートラの解説~

無知を取り除くことによって、真実の知恵が現れてきます。

智慧は私たちの本質であり、はじめから私たちの中にあるのです。

ただ、無知という闇によって見えなくさせられているだけなのです。

真我に目覚めるとは、何か新しい能力に目覚めるというような、

そういう超能力や魔術的な能力ではないのです。

そもそも私たちの中にあるのを思い出すことなのです。

私たちが現代文明の中で暮らすようになり、

とうの昔に忘れてしまった事実を思い出すというだけなのです。

心に心配事や後悔、貪欲さ、悲しみや怒り、憎しみがあると、

心は曇ってしまって真我は見えなくなってしまいます。

ですから、心はいつも静かに澄み切っているという状態にしておくことが大切です。

そのために瞑想をして、心を研ぎ澄ませるのです。

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2016年3月14日月曜日

ヨーガ・スートラ第1章第47節

ヨーガ・スートラ第1章第47節

निर्विचारवैशारद्येऽध्यात्मप्रसादः

【ニルヴィチャーラ・ヴァイシャーラボディ アディヤートマ プラサーダハ

ニルヴィチャーラ】

ニルヴィチャーラまでの4段階の瞑想が終わり、心を収めることができた時、

心は澄みわたります。

~スートラの解説~

瞑想を終えると、

肉体や感覚や身体を見極め、不安や迷いから自由になり、

心は澄み渡って、知性ははっきりと冴えている状態になり、

本当の自分自身の存在をはっきり理解できるようになります。

本当の自分自身とは、真我(アートマー)です。

プルシャ(人間の真実)やブランマン(普遍の存在)ということもあります。

それが本当の自分なのだとはっきりとわかり、その事実を受け止めることができるのです。

なかなか難しいことかもしれません。

自分の中に真我という魂が入っているなどと理解することは。

でも、今世でとうてい理解できなくても、

来世では受け入れられるようになるかもしれません。

話半分でも、そんな説もあったなあと思っているだけでもいいと思います。

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2016年3月12日土曜日

ヨーガ・スートラ第1章第46節

ヨーガ・スートラ第1章第46節

ता एव सबीजस्समाधिः

【ター エーヴァ サビージャスサマーディヒ】 

4段階の瞑想はサビージャ・サマーディ(苦悩の原因がまだある)と呼ばれています。

~スートラの解説~

1章42節~44節で4段階の瞑想にふれてきました。

1.サヴィタルカ 2.ニルヴィタルカ (目に見える肉体と、自分を分析する瞑想)

3.サヴィチャーラ 4.ニルヴィチャーラ (目に見えない感覚と心、自分を見分ける瞑想)

これら4段階の瞑想は、苦悩の原因を残しています。

それは、自分自身に関する無知を残しているということです。

仏教ではその状態を無明といい、人間が根本的にもっている無知のことを言っています。

例えば、肉体を自分自身だと思い込み、

コンプレックスを感じたり、悩んだりすることがあります。

また、考えに振り回され、不安や恐れを感じたり、怒りや悲しみに苦しんだりもします。

私たちの本質は肉体でも脳が作り出す考えでもありません。

私たちの本質は真我です。魂というエネルギー体です。

そのことをよく、理解していきましょう。

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2016年3月11日金曜日

ヨーガ・スートラ第1章第45節

ヨーガ・スートラ第1章第45節

सूक्ष्मविषयत्वम्चालिण्ग पर्यवसानम्

【スークシュマ・ヴィシャヤトヴァン チャ アリンガ・パルヤヴァサーナン】

目に見えない、形もないものに瞑想する。

目に見えなくて形もないものとは、名前と形を持っていないものです。 

~スートラの解説~

物質の分析の先にある、感覚や心などの目には見えないことの分析をします。

思い込みや、固定観念、誤解、そういったことがたくさんあるはずです。

よく自分自身の価値観や心の動きをチェックしてみましょう。

とくにマイナスの感情を生む事柄に対しては、細かくみていきましょう。

そこが瞑想を通して、あなたが気付いて改善していくべきところです。

嫌いなものは、どうして嫌いなのか?

嫌な人はどうして嫌なのか?

その判断を下す自分の価値観を変化させることができるのは自分だけです。

また、心が波うったり、静まったり、感覚の変化や考えの変化がわかるのは、

そこに変化することのない真我という存在があるためです。

真我という魂が、私たちの思考を客観的に見ているからです。

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2016年3月8日火曜日

ヨーガ・スートラ第1章第44節

ヨーガ・スートラ第1章第44節

एतयैव सविचारा निर्विचारा च सूक्ष्मविषय व्याख्याता

【エータヤイヴァ サヴィチャーラー ニルヴィチャーラー

チャ スークシュマ・ヴィシャヤー ヴァーキャーター】

目に見えないものを分析する瞑想についての説明です。

ここからサヴィチャーラー(分析を伴う瞑想)と

ニルヴィチャーラー(分析を終えた後の瞑想)へと続きます。

~スートラの解説~

目に見えるものを分析した後には、目に見えないものを分析する瞑想へと

進んでいきます。










昨日の記事でも書きましたが、

私たちの感覚や心というのは、過去の経験や記憶の影響を大きく受けています。

過去に良い思いをした事柄に対しては、今でも良い感情や思いを抱き、

反対に過去に悪い思いをした事柄に対しては、今でも悪い感情や思いを抱いてしまいます。


自分自身の経験だけでなく、親から言われたこと、親の行動なども

私たちの感覚や心というものをゆがめてしまいます。

例えば、ゴキブリが怖いのはなぜでしょう?

それは親がゴキブリを見るたびに怖がっていたから、自分もそれを記憶し、

自然と同じような反応をするようになったのです。


そういった、過去に刷り込まれた感覚や心の反応というものを、

瞑想によってもう一度見つめ直す必要があります。

自分の考えに差別はないか、好き嫌いはないか、

始めはそういったことをチェックするだけでもいいでしょう。


この瞑想を通して、最終的には全ての存在に感謝の気持ちを持ちましょう。

この世に意味なく存在しているものは何一つありません。

私たちが目にするもの、耳にするもの、関わるもの、全てに意味があるのです。

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2016年3月6日日曜日

ヨーガ・スートラ第1章第43節

ヨーガ・スートラ第1章第43節

स्मृतिपरिशुद्धौ स्वरूपशून्येवार्थमात्रनिर्भासा निर्वितर्का

【スムルティ・パリシュッダウ スヴァルーパ・スーンニャ イヴァ アルタマートラ

ニルバーサー ニルヴィタルカー】

物事の本質がはっきりとします。この本質に至る瞑想をニルヴィタルカ・サマーディ(分析を終えた後の瞑想)といいます。

~スートラの解説~

前の第一章第42節で、物質について見極める瞑想をしました。

次はこの章で説明される、「物質を分析した後の瞑想」になります。

物事の本質は空であり、物質や事柄、全ての物事が永遠の存在ではなく、 

常に変化している実体のない存在に過ぎないんだということに気付くことが大切です。

それら全ての物事に意味を与えているのは、

私たちの心です。

気持ちがいい、心地がいい、不快だ、嫌だ、便利なもの、不便なもの

と物質や事柄に意味を与えているのは私たちの心でしかないのです。

そして、それらは

私たちの過去に起きた経験や記憶によって決まってしまいます。

例えば、子供の頃に近所の犬にかまれたことがある人は、

「犬というのは野蛮で怖いもの」

という記憶を持っているので、犬というのは不快な存在という見方しかできません。

そうすると、また同じような現実を引き寄せてしまいます。

しかし、あるとき犬というのは決して怖いものではなく、

「なんとなく、愛らしいものである。」

というように、自分の方の物の見方を変えてみるとどうでしょう?

すると、

自分によってくる犬は自分に噛みつこうとしているのではなくて、

実は可愛がって欲しかったんだ、遊び相手が欲しかったんだということに気が付きます。

そういう風に、

自分の方の認識を変えることで、物事は変化するのです。

そして、それら変化する物事というのは、

「空」なのです。

こちら次第でいかようにも変化するのです。

そのことに気が付いたら、物事に執着する必要はないのです。

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2016年3月4日金曜日

ヨーガ・スートラ第1章第42節

ヨーガ・スートラ第1章第42節

तत्र शब्दार्थज्ञानविकल्पैः संकीर्णा सवितर्का समापत्तिः

【タットラ シャブダールタ ニャーナ・ヴィカルバイヒ 

サンキールナー サヴィタルカー・サマーパッティヒ】

知覚を通して理解できる物の本質を知るために瞑想し、

目に見えるものを見極めることをサヴィタルカー・サマーパッティヒと言います。

~スートラの解説~

サヴィタルカー・サマーディは物質について見極める瞑想です。

物には形があり、名前があり、私たちが見たり触ったりして知覚できます。

一方で私たちはそれを理解する存在であり、物ではありません。

では私たちの肉体はどうでしょうか?

肉体は見たり触ったり知覚できます。

つまり、私たちの肉体というのは物と同じ、道具の一つなのです。

私というのは真我であり、肉体の目には見えない魂という存在です。

この違いを冷静に受け止めることで、

人は肉体のコンプレックスや悩み、執着、苦しみや悩みから

解放されて自由になることができるのです。

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2016年3月1日火曜日

ヨーガ・スートラ第1章第41節

ヨーガ・スートラ第1章第41節

क्षीणवृत्तेरभिजातस्येव मणेर्ग्रहीतृग्रहणग्राह्येषु तत्स्थतदञ्जनता समापत्तिः

【クシーナ・ヴルッテーヘ アビジャータッシャ エーヴァ マネーヘ 

グラヒートゥル グラハナ

グラーハイェーシュ タッ・スタ タッ・アンジャナター サマーパティヒ】

私たちの真我は透明な水晶のように、どんな色も映しますが、どんな色にも染まりません。

そのことに気がつき、考えが静まってくると、瞑想がはじまります。

~スートラの解説~

本当の自分である真我は、水晶のように透明です。

そして、どんな性質も色もありませんから、どんな性質にも色にも染まります。

様々な意識や考えを映しながらも、どれにも限定されずに、

自由な存在が私たちの真我です。

真我は考えや感情を映し出すだけで、それに染まることはありません。

透明な水晶みたいですね。

ですから、いつからでも心を改めることができるんです。

今日から綺麗な言葉を使い、感謝をたくさんする人生を歩みだせば、

あなたの真我はたちまち綺麗な色を放ちはじめます。

世の中には、

愚痴を言ったり、不平不満を言ったりする人がたくさんいます。

そういう人は真我にドロドロの黒い色を映しているんです。

それが現実を引き寄せ、

またさらにドロドロになるような心の反応を起こしています。

いい人生を生きたかったら、

この水晶のような真我に、綺麗な色を映して、

とてもいい現実を引き寄せ、

さらにまたそう思えるような心の反応を得られ、どんどん幸せになる連鎖がおきる。

そういう循環をつくることが大切ですね。

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2016年2月28日日曜日

ヨーガ・スートラ第1章第40節

ヨーガ・スートラ第1章第40節

परमाणु परममहत्त्वान्तोऽस्य वशीकारः

【パラマ・アヌ パラマ・マハトヴァ アンタハ アッシャ ヴァシーカーラハ】

素粒子や瞬間などのとても小さいものから、宇宙や無限などのとても大きなものまで広がる

この世界の真実を理解し見極めることで、とらわれのない心となります。

~スートラの解説~

ここで言う見極めとは、1章15節のヴァイラーギャです。

物事の真実をあるがまま観るのです。

物にとらわれず、考えや感情に振り回されることがなく、

心は道具であるという意識で、澄み切った心で物事を観ることが大切です。



不安や恐れ、心配や後悔などは全て、

曇った心によって生じてきます。

人間は普通に生活していると、不安や恐れを抱く生き物なのです。

放っておくと、勝手にマイナス思考の考えが浮かんできます。

それは生物としての防衛本能が働くためです。

ですから、それを凌駕するには

強い意志と努力が必要です。

いつも明るくいて、いいことや楽しいことを考えること。

感謝やポジティブな言葉を使うような考えをすること。

悪いことが起きても、

「このくらいで済んで良かったな。ラッキーだったな。」

というように、

全ての物事に対して、

最後はポジティブに締めくくる癖をつけるといいですね。

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2016年2月26日金曜日

ヨーガ・スートラ第1章第39節

ヨーガ・スートラ第1章第39節

यथाभिमतध्यानाद्वा

【ヤター アビマタ・ディヤーナーッドヴァー】 

心がひかれる対象1点に集中し、瞑想することによっても心は静まります。

~スートラの解説~

心がひかれるものがあれば、その一つの対象に心の動きを定めます。

そして瞑想をして、その物事の本質を見極めることで、心の静けさをもたらすことができます。


物事の本質とは、

すべての存在が「空」であるということです。

物や事、全ての物事が永遠の存在ではなく、

常に変化している実体のない存在に過ぎないんだということに気付きます。

物は古くなったり、壊れたり、その状態は時の経過によって変わっていきますね。

私たちの身体もそうです。

年を重ねればいろんなところにガタがきます。

足が痛い、腰が痛い、目が見えない、耳が聞こえない等。

しかし、それらは私たちがこの世で学ぶための「肉体という道具」でしかありません。


この世にある物や道具、物質はすべてが「空」なのです。

ですから、執着することはむなしいことなんですね。

そう思えると、心がすーぅっと楽になります。

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2016年2月24日水曜日

ヨーガ・スートラ第1章第38節

ヨーガ・スートラ第1章第38節

स्वप्ननिद्रा ज्ञानालम्बनम् वा

【ソヴァプナ・ニッドラー・ニャーナ アーランバナン ヴァー】 

夢と熟睡のどちらにも真我が存在していると知ることで、心は静まります。

 ~スートラの解説~

起きているときも、夢を見ているときも、深い眠りで夢をみないで熟睡しているときも、

どんな自分の状態にも存在しているのが、

意識の源である私たちの真我、アートマーです。

真我の存在を理解することで、心は静けさを取り戻します。

追伸

魂、真我の存在を認める人が世界中で急速に増えてきています。

かつて天動説から地動説へと常識がシフトしたように、

死んだら終わりという考え方から、魂は永遠であるというように、

世界中の常識が塗り替わってきています。

魂は永遠であるというドミノがぱたっと倒れると、

それによってたくさんのドミノが倒れます。

前世や過去世といったものも肯定され、魂の成長のために

何度も輪廻転生するという考え方も肯定されるようになります。

遠い未来の話か、それほど遠くない未来の話か、

それは私たち次第ですが、

この歴史的大変革はもうはじまっていると思います。


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2016年2月23日火曜日

ヨーガ・スートラ第1章第37節

ヨーガ・スートラ第1章第37節

वीतराग विषयम् वा चित्तम्

【ヴィータラーガ・ヴィシャヤン ヴァー チッタン】

こだわりを手放し、欲望の対象から自由になりましょう。 

~スートラの解説~

心を忙しくする執着を解き放つことが、

心を静かに収めることに繋がるとパタンジャリ先生は言いました。

人は様々な欲望を持っており、時には強い欲求に掻き立てられることもあります。

物や人に執着していたり依存していたりすると、

思い通りにいかない苛立ちや、失うことへの恐怖・不安によって、

心がざわついてしまい、澄んだ落ち着きのある心でいることができません。

自分は何かに心を奪われていないだろうか?

ときどき、そう自分に問いかけてみてください。

しかし、

それは何も全ての欲を捨てなさいと言っているわけではないのです。

何事も中道が大切で、両極端ではいけません。

真ん中が一番いいのです。健全な欲はいいのです。

私たちはこの俗世間で、少しずつ魂を磨いていく存在です。

生まれた時代、生まれた場所、

そこに適応して、少しずつ善なることをしていく存在です。

今この時代に生きている私たちは、昔のように衣一枚で山奥で修行をするというようなこと

ではなく、

今のこの環境で、執着から自由になる必要があるのです。

何でも手に入り、物が大量にある世の中で、

それはある意味、難易度は高いかもしれませんね。

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2016年2月22日月曜日

ヨーガ・スートラ第1章第36節

ヨーガ・スートラ第1章第36節

विशोका वा ज्योतिष्मती

【ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュマティー】 

本当の自分(真我)の存在を知ることでも心を集中させることができます。

~スートラの解説~

前回の節では、心を一つの対象に集中させることで

心を落ち着かせることができると書きました。

この章ではそれ以外に、

真我の存在を知ることでも心を一つに集中させることができると書かれています。

真我の存在を知るとは、

「本当の自分は心ではなく、心を扱う存在、心を観る存在である。」

ということを理解することです。

この事実を受け入れ、理解したとき、苦悩や悲しみから自由になり、

心を一つに集中させることができます。

真我はいろいろな呼び方で言われることがありますが、どれも同じです。

アートマー(真我)、ジョーティシュマティー(意識の源)、ブランマン(普遍の存在)、

プルシャ(人間の真実)、サット・チット・アーナンダ(存在・知・限りないもの)等です。

はじめは受け入れ難いことかも知れませんが、

肉体は魂の乗り物であるというこの考え方を受け入れた方が、

人生がより豊かに、美しくなり、

そして自分に起こる全ての出来事が意味のあるものになるのではないでしょうか。


2016年2月21日日曜日

ヨーガ・スートラ第1章第35節

ヨーガ・スートラ第1章第35節

विषयवती वा प्रवृत्तिरुत्पन्ना मनसः स्थिति निबन्धिनी

【ヴィシャヤヴァスティー ヴァー プラヴルッティ・ウッパンナー 

マナサハ スティティ・ニバンディニー】

一つの対象に心を集中させ、集中力を高めることで、心の穏やかさをもたらします。

~スートラの解説~

心の穏やかさ、心の落ち着きは、

一つの対象に心の動きを定め、集中することによって得られます。

インドでは瞑想の時などにマントラを唱えるなどして、

瞑想の際に集中力を高めるのが伝統的なやり方です。

肉体を静め、リラックスすることだけが瞑想の目的ではないのです。

私達の本質が不滅の真我であることを思い出し、

高い霊的な意識に到達することが深い瞑想の目的です。

この「なぜ瞑想するのか」という、

その根本的な理由や理想をはっきりとさせることが、

とても大切です。



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2016年2月20日土曜日

ヨーガ・スートラ第1章第34節

ヨーガ・スートラ第1章第34節

प्रच्छर्दनविधारणाभ्यां वा प्राणस्य

【プラチャルダナ ヴィダーラナービャーン ヴァー プラーナシャ】

息を吐くこと、息を止めること、息を吸うこと、これらを整えることで心が落ち着きます。

~スートラの解説~

心を自分の意志で落ち着かせるためには、

呼吸を意識的に調整し、吸う、吐く、止める、を繰り返すことが有効です。

私たちは心がどんなに興奮したり高ぶったり、もしくは落ち込んだりしていても、

呼吸を調整し、ゆっくりと吸う、止める、吐くという動作を行うだけで、

すぐに落ち着きを取り戻すことができるのです。

日ごろ、当たり前に行っている呼吸ですが、

そのことに心をむけたことがあるでしょうか。

自動で行われていることに、感謝したことがあるでしょうか。

感謝するものが何も思い浮かばないとき、

感謝する気分になれないとき、

息を1分間止めてみてください。

すると、苦しくて、息が吸いたくて、もう我慢の限界!となると思います。

そして、やっと「すぅうー」っと息を吸えた時、

息が吸えることに心から「ありがたい」と思うことができます。

そういう身近なことから、

小さな気付きに感謝していく癖をつけましょう。



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2016年2月17日水曜日

ヨーガ・スートラ第1章第33節

ヨーガ・スートラ第1章第32節

तत्प्रतिषेधार्थमेकतत्त्वाभ्यासः

【マイトリー(1)カルナー(2)ムディタ(3)ウペークシャーナーン(4)

スカ・ドゥッカ(5)プンニャ・アプンニャ(6)

ヴィシャヤーナーン バーヴァナータハ チッタ・プラサーダナン】

(1)やさしさ(2)慈悲深さ(3)寛容さ(4)冷静さ(5)喜び、苦しみ(6)徳・不徳の結果

それらどのような対象にも動揺せず、落ち着きを養う心の明快さを持ちましょう。

~スートラの解説~

辛いことや悲しいことだけでなく、嬉しいことや喜ばしいことなど、

感情の正と負の両極端な状況にとらわれることなく、

常に冷静に真実を見ることのできる、

澄んだ心の状態でいることが大切です。

辛いことや悲しいことが起きた時は、その気持ちを一旦受け止め、

全てを許し、前向きな考えに昇華させ、そういう心の動きを感じることができたことに

感謝を捧げましょう。

また、嬉しいことや喜ばしいことがあったときも、

そのことにとらわれるのではなく、嬉しさや喜びの気持ちを受け止め、

周りの人やまわりの環境など、自分だけではなく身の回りの人に

感謝の気持ちを持ちましょう。

そしてまた、心を静かに収め、冷静な自分でいることが大切です。



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2016年2月15日月曜日

ヨーガ・スートラ第1章第32節

ヨーガ・スートラ第1章第32節

तत्प्रतिषेधार्थमेकतत्त्वाभ्यासः

【タット プラティシェーダールタン エーカタットヴァ アッビャーサハ】 

心と体の症状から解放されるには、

瞑想を繰り返し練習して、1つの真実に心をつなぐことが大切です。


 ~スートラの解説~

オームを繰り返し唱えるジャパ瞑想を練習することで、

心も体も最適な状態に調和されます。

それは、イーシュヴァラ(自然の摂理)に心をつなぎとめることができるからです。

毎日、繰り返しヨガを学び、諦めずに瞑想を練習することで、

生きていく上で障害となる苦悩や心の迷いを取り除くことができます。

しかし、いくら瞑想の練習をしていても、

普段から愚痴や泣き言をいっていたり、否定的な言葉を使っていたのでは意味はありません。

瞑想をし、

尚且つ、日ごろの言動や思考に気を付けましょう。

感謝や喜びの言葉をよく使い、

プラス思考を心がける必要があります。



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