2016年2月22日月曜日

ヨーガ・スートラ第1章第36節

ヨーガ・スートラ第1章第36節

विशोका वा ज्योतिष्मती

【ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュマティー】 

本当の自分(真我)の存在を知ることでも心を集中させることができます。

~スートラの解説~

前回の節では、心を一つの対象に集中させることで

心を落ち着かせることができると書きました。

この章ではそれ以外に、

真我の存在を知ることでも心を一つに集中させることができると書かれています。

真我の存在を知るとは、

「本当の自分は心ではなく、心を扱う存在、心を観る存在である。」

ということを理解することです。

この事実を受け入れ、理解したとき、苦悩や悲しみから自由になり、

心を一つに集中させることができます。

真我はいろいろな呼び方で言われることがありますが、どれも同じです。

アートマー(真我)、ジョーティシュマティー(意識の源)、ブランマン(普遍の存在)、

プルシャ(人間の真実)、サット・チット・アーナンダ(存在・知・限りないもの)等です。

はじめは受け入れ難いことかも知れませんが、

肉体は魂の乗り物であるというこの考え方を受け入れた方が、

人生がより豊かに、美しくなり、

そして自分に起こる全ての出来事が意味のあるものになるのではないでしょうか。


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