ヨガ哲学本読解(^ν^)
ヨガの教えはなんとなく抽象的で、神話みたいな神様の名前が出てきたり、宇宙との調和など言われてもピンとこない…という人も多いと思います。
でも哲学書をちゃんと読むと、古典でも、今流行りの(?)対話形式で進んでいてわかりやすかったり、すごく実用性があったりすることに気がつきます。
先日ご紹介したヨガ哲学の基本三書:
スートラ
ギータ
ウパニシャッド
でも、前半は一般的な人生の諸問題を解きほぐしていくところからスタートして、心身がリラックスしてその先を聞き入れやすくなったところで、深みを突いてくれるような感じで、うまくできています。
以前触れたように、
幸せは自分の中にある。
ことに気がつくことも第一です。
でも、そもそもそれに気がつかないのは、幸せは外にあると思っていつまでも探し求めているせいですよね?
そして外のものや人がうまく自分の思うようにいかないと、それで不幸な気がしたり、幸せはないような気がしたり。。
でも本来、外のものや人は変えられません。
変えられないものを変えようとしない。
変えられるものを変える。
それで変えられるものはと言えば、
自分。
そして自分の受け止め方です。
自分以外のもの、人の習性・生態は、それぞれ違うのです!
その説明を、先生がおもしろい例を出して教えてくれました。
なんと先生が出した例えは、サソリ!
サソリの生態は、怒ったり刺激で興奮すると、後ろに進んでザクッと対象物を刺します。
怖い生態ですが、その研究を聞いてVTRなんかでよく見ると、けっこうおもしろかったり、へえ~と関心したりするものです。
つまり、ほどよい距離を保てば、それをけっこう楽しめる。
少なくとも、なんであんな生態なの?ひどい!最悪の生態!
と、その習性自体に腹を立てる人はいないでしょう。
サソリというのは突飛な例な感じもしますが、人間それぞれ違う環境で生まれ育って千差万別。
いきなり刺したり怒り狂ったら法に触れますが^^;
法律も人間が作っているので人間としての守る範囲があるというのは別問題で、かなり違う生態を持っていても不思議ではないのです。
ある人は、常に怒りがぶつかり合う環境下で育ったかもしれません。
そんな人は、怒りで相手を威嚇して生きていくのが普通かもしれない。
その習性を「悪いもの」と決めつけたり、変えようとしてもできません。
外の何か、ものや人を変えたいと思う気持ちは、依存する心。
その依存から自由になるのがヨガで、その道を学んでいくために哲学書もあります。
こうやって入口に立った私でした^^
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