2016年1月31日日曜日

ヨーガ・スートラ第1章第18節

ヨーガ・スートラ第1章第18節

विरामप्रत्ययाभ्यासपूर्वः संस्कारशेषोऽन्यः

【ヴィラーマ プラッティヤ アッビャーサ プールヴァハ サンスカーラ・シェーシャハ アンニャハ】

「自分自身を分析する瞑想」を繰り返した後、さらに1段階深い瞑想である、「自分自身の分析を終えた後の瞑想」が起こります。

この瞑想では、過去の潜在的な記憶・カルマはまだ残り、解脱ではありません。

~スートラの解説~

この前の章で、サンプラニャータサマーディ(自分自信を分析する瞑想)のことが書いてありました。

この章では、もう一段深い瞑想であるアサンプラニャータサマーディ(自分自身の分析を終えた後の瞑想)のことが書いてあります。

肉体、感覚、心の変化を外から観ている存在が本当の自分自身(真我)であり、

その事実を深める瞑想です。

瞑想というのは輪廻から人を自由にすることが目的ではなく、

あくまで自分の心を収めるための練習と言われています。

なぜなら、瞑想では気付きを得ることができますが、

悟りを得ることはできません。

私たちは瞑想で得た気付きや智慧を

現実社会で実際に行動に移して体現していかなければいけません。

それは例えば、

他人に愛のある優しい言葉をかけることや、

愛のある行動をすること、日ごろから感謝の気持ちを持つことなどです。

そして最終的には人にそういったことを教えてあげるようになります。

悟りを得るために、
特別な環境で特別な修行をする必要などはないのです。

瞑想をして自分自身の心をよく見て、

気付いたことを外の世界で実行していく。

そうすることでカルマもどんどん消えていき、魂が光り輝いていきます。

それが大切なことなのです。



哲学・思想 ブログランキングへ
にほんブログ村 健康ブログ ヨガへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿